提案者: 小野瀬 雅人(おのせ まさと)


現在の所属・役職


経 歴


主要論文及び著書

  1. 入門期の書字学習に関する教育心理学的研究 ( 風間書房 1995 )
  2. 書字モードと筆圧・筆速の関係について ( 教育心理学研究 43(1), 100-107. 1995 )
  3. 幼児・児童における筆記具の持ち方と手先の巧緻性の関係( 鳴門教育大学 研究紀要 (教育科学編)11, 151-160. 1996 )
  4. 幼児・児童の文字の書き ( 福沢周亮編 言葉の心理と教育 教育出版 1997 ) 
  5. ふりがなの教育心理学的研究 ( 野間教育研究所 1999 )



<提言要旨> 【 教育心理学の立場から 】
 子どもにとって文字が書けることは、就学前・就学後を問わず重要な発達課題である。文字をを書くことに抵抗があったり精神的疲労があると、書字能力の低下を招くだけでなく、学習能率や学習意欲にも影響を与えるからである。したがって、子どもが文字を書くことの基本を身に付けることは、特に、書字学習の入門期において大切になる。
 現在の書写書道教育において重視されている筆記具の正しい持ち方、筆順、字形について、就学前後の子どもを対象として実証的に検討した結果、次の点が明らかにされた。
  1. 筆記具の「正しい」持ち方は、文字を書く際の手先への負荷を小さくし、字形を整えて書く上で有効に機能する。
  2. 文字を書く際の書き易さは「筆順」ではなく、活動の文法(grammar of action) に従う。
  3. 文字を習得する際に利用される視写練習は、文字の構成要素の知覚・運動プログラムの構成・その実行を求めるため、文字の全体像を含めた字形の習得に有効である。
 以上は、現在の書写書道教育が、書字の効果的な習得に貢献していることを示唆するものである。また、筆記具の持ち方・筆順・字形に留意して文字を書くことは日本語の文字についての理解を促進するが、このことは日本文化はもちろん異文化の理解にも通じる。さらに、最近の研究によれば、入門期における書字技能の獲得は作文力にも影響する。このような点を踏まえ、IT時代における文字を書くことの教育の在り方を検討することも大切である。






提案者:  小竹 光夫(しの みつお)


現在の所属・役職


経 歴


主要論文及び著書

  1. 「教員養成における書写・書道教育の実践的研究」( 書写書道教育研究 (全国大学書写書道教育学会) 第8号,1994 )
  2. 「書字・読字における漢字仮名交じり文の有効性について(1)」( 書写書道教育研究 (全国大学書写書道教育学会) 第9号,1995 )
  3. 「教員養成課程における総合的学習への試み」( 書写書道教育研究 (全国大学書写書道教育学会) 第12号,1998 )
  4. 「『書くこと』への意識化と書き確かめる書写学習の再構築」( 書写書道教育研究 (全国大学書写書道教育学会) 第14号,2000 )
  5. 「文字を書くことに関して『活字フォント』が与える影響について」 言語表現研究 (兵庫教育大学言語表現学会) 第17号,2001 )



<提言要旨> 【 書写・書道教育の立場から 】
 「文字を手書きする」ということが失われるとき
 今、PCを前にして提言要旨を打っている。「書いているのではないのか?」という声が聞こえる。しかし、紛れもなく・・・「打っている」のだ。便利な時代になった。文書編集は極めて容易で、印刷キーさえ押せば瞬時に印字されてプリンタから排出される。
 この便利な機器を操らせる能力を、どこで習得したのだろうか。機器の操作については独学であった。しかし、適切な文字活用や変換キーを押させる主体的な自分は、明らかに「文字を手書きしながら習得する」という体験の中で形成されてきた。情報機器にさえ入出力というシステムが存在する。にも関わらず、書写・書道という分野では出力面に関心が偏りがちで、定着や認識、そして活用能力という入力の部分への焦点化が遅れがちである。
 「何のために書くか?」との問いがある。入出力との視点で考えれば、「人間が他者のために書く」と「人間が自己のために書く」という2面からの答えが用意されなければなるまい。この「伝達・記録のために書く」と「定着・認識のために書く」という関連が喪失され、「文字を手書きする必要がない便利な時代になった」との短絡的な意識が蔓延するとき、人間は文字そのものを失ってしまうのではないだろうか。






提案者:  佐々木 正人(ささき まさと)


現在の所属・役職


経 歴


主要論文及び著書

  1. 『からだ:認識の原点』 ( 東京大学出版会 1987 )
  2. 『アフォーダンス:新しい認知の理論』 ( 岩波書店 1994 )
  3. 『知性はどこに生まれるか─ダーウィンとアフォーダンス』( 講談社現代新書 1996 )
  4. 『知覚はおわらない』 ( 青土社 2000 )
  5. 『アフォーダンスの構想─知覚研究の生態心理学的デザイン』 ( 東京大学出版会 2001 )



<提言要旨> 【 認知科学の立場から 】

 タイトル:「二つ以上」─知覚と行為の原理─

 行為が進んでいく時には「二つ以上」のことへの注意が必要なようです。光の感覚のない盲人のナヴィゲーションについて歩いた経験があります。例えば新宿東口では、この街を貫いているJRの列車音と、今いるところの音の両方に同時に注意を払うことで目標への経路が探られていました。おそらく視覚障害の無い者は二つ以上の景色の関係をそのように使用しているはずです。ナヴィゲーション行為とは複数の音や見えの景色を同時に利用できるようになることのようです。
 行為する身体にも「二つ以上」のことを発見できます。肩以下が麻痺した頸髄損傷者が半年かけて靴下をはくようになる過程を観察したことがあります。転倒しないように平衡を調整し続けながら、足先と手先を接近させ、柔らかくて扱いにくい物を操作すること。これらを一気にすることが靴下をはくということだということがわかりました。靴下という材料を得て、身体がしたことは、種々の動きの働きをどのように物に向かって同時化・組織化するかということの工夫でした。
 「二つ以上」を同時にするということが知覚と行為の原理のようです。生態心理学のアフォーダンスはこの「二つ以上」と関連しています。私には文字を書くということにはその種が十分すぎるほど詰まっているように思えます。文字を書く行為においてどのような「二つ以上」が発見されているのか、会の皆様に是非伺いたいと思います。








提案者:  甲斐 睦朗(かい むつろう)


現在の所属・役職


経 歴


主要論文及び著書

  1. 源氏物語の文章と表現 ( 桜楓社 1980 )
  2. 小学校国語教科書の語彙表とその指導 ( 光村図書 1982 )
  3. わかむらさき−源氏物語の源流をさぐる ( 明治書院 1999 )
  4. 児童の語彙及び漢字の習得に関する調査研究( 平成7年度文部省「教育課程に関する基礎的調査研究」依嘱研究報告書 1996 )
  5. 日本語基本語彙−文献解題と研究− ( 国立国語研究報告116 明治書院 2001 )



<提言要旨> 【国語・日本語教育の立場から】
  1. 日本人の言語生活と文字(漢字と仮名)には切り離せない関係がある。文字は長年書きながら習得する習慣ができている。ところが、IT時代を迎えた。文字はキーを打つことになるが、書きながら習得する世代は別として、これから文字の学習に向かう児童生徒における書く行為はどのように考えるとよいのか。書く学習を行わないで言語生活が円滑に送れるものか。今回のシンポジウムでは関心の深い問題を取り上げている。
  2. 私は、このシンポジウムでは国語教育と日本語教育の両方の専門家として位置づけられている。ところが、国民の子女のための国語教育と、子女を含めた外国人のための日本語教育とでは、漢字についての考え方に違いがある。特に欧米系の日本語学習者にとっては、漢字の学習は困難で日本語習得の挫折の原因になっている。漢字の大幅な削減の強い願いが日本語教育の分野から出ている。ただ、書けなくても日本語の表現・理解 が可能かどうかについては問題が残る。
  3. 学校教育では、いわゆる教育漢字1006字、常用漢字1945字の習得が問題になっている。国語科の授業時数が大幅に削減された。その結果、上記の教育漢字及び常用漢字の完全な習得があやしくなってきた。そうなると、漢字数を削減するのか、別の効率の高い学習方法を考案するのか、それとも国語科の時間数の増加を希望するのか。
  4. パソコンを使っていると、常用漢字表の枠が希薄になり、数多くの表外漢字が使われている。その問題は、学校教育にも影響を与えることになるし、日本語教育の切実な願いとは逆行する。
  5. IT時代は、同じ漢字国の中国、韓国などとの交流を考えなければならない。





提案者:  佐賀 啓男(さが ひろお)


現在の所属・役職


経 歴


主要論文及び著書

  1. Digital transformation of words in learning processes: a critical view,( Educational Media International, 36(3), 195-202, 1999 )
  2. インターネットと遠隔教育 ( 『視聴覚教育の新しい展開』所収、東信堂、1998 )
  3. メディアと教育(共編著) ( 小林出版 1992 )
  4. Students' perceptions of media and teachers as related to the depth of their learning ( Educational Media International, 30(3), 158-167, 1993 )
  5. 詩集『三つの川を越えて』 ( 沖積舎、1989 )



<提言要旨> 【メディアと文字を書くこと】
 コンピュータで文章を書くとき、私たちは意識しているわけではないが、必然的に二重三重のデジタル変換をしている。シンボルをデジタル還元したうえで再現するという技術は、映像や音声にも適用できるし通信にも乗る。私たちはその便宜を享受しているが、そこから私たちの内に、書くことに伴うどのような心性が新たに生じるのだろうか。ウォルター・オングによるオーラリティとリテラシーの比較分析からヒントを得てみたい。
 また、デジタルな「書き」において、テキストはそれを保存し開くたびにコピーされる。文字は際限なくコピー可能。サーバーへファイルを送るのもコピー行為。誰かがある時間にある場所で書いた文も、他の誰かによるコピーに次ぐコピーの結果、誰のものかも分からなくなる。その誰かは「誰でもない人」になり、そのどこかは「どこでもない場所」になる。これは、ハイデガーが分析する「現存在の非本来的あらわれ」のひとつである「かれら性」によく似ている。コピーが原則の世界では、源泉は消滅し、同一性は溶解する。筆で書く書の世界、古美術の真贋の世界とデジタルなネットワークとは別々の世界である。
 そのうえで、ご提言の先生方におたずねしたい。
    1. 漢字忘却は認知的退化か。デジタルな書きにおける再生と再認の過程、身体の役割。
    2. 退化が、かなの忘却にまで進むおそれはないか。
    3. ローマ字入力は日本語の音韻にまつわる気分にどう影響するか。古典詩歌は保護されるか。